駆け出し② ― 帰らない日々

外科の研修医になって、何日かたった。

チームでの受け持ちだったが、
「まずは君が全部あたってみて」と言われていた。

朝いちばんに病棟へ行き、
全員のバイタルを見て、
ドレーン排液を確認し、
採血結果をチェックする。

異常があれば上級医に報告する。
でも、「何が異常なのか」を最初に判断するのは自分だった。

正解はあとから教えてもらえる。
けれど、最初に考えるのは自分。

それが思っていたより、ずっと重かった。


帰らない理由

当時の僕は、なかなか帰れなかった。

仕事が終わらないから、だけではない。
終わらせるのが怖かったからだ。

自分が帰ったあとに、何か起きたらどうしよう。

あの採血の微妙な変化は、本当に様子見でよかったのか。
あの腹痛は、ただのガスだったのか。
ドレーンの色は、本当に問題なかったのか。

そうしているうちに夜は更け、
気づけば朝までの時間もほとんど残っていない。

しかし、病棟に“休む場所”など、基本的にはない。

処置台で横になろうとすると、
すでに同期が眠っている。

仕方なく、カンファレンス室のパイプ椅子を並べて横になる。
身体も心も疲れているから、すぐ眠れる。

そして朝6時。
病棟の照明がつき、夜勤の看護師さんの動きが少し慌ただしくなる。

目が覚める。

まるで病棟に住んでいるような感覚だった。


技術より先に身についたもの

手術の技術は、すぐには身につかない。

縫合はぎこちなく、
展開も下手で、
怒られてばかりだった。

それでも、あの頃に身についたものがあるとすれば。

「気になる」という感覚だ。

そして、それを裏打ちする経過の経験。

数字の違和感。
顔色の違和感。
言葉の端の違和感。

はっきり異常とは言えない。
でも、どこか引っかかる。

その引っかかりを、全部追いかける。

効率は悪い。
今の時代なら、もっとスマートにやれるのかもしれない。

それでも、あの“無駄に見えた時間”は、無駄ではなかった。

帰らなかった日々は、
患者さんを「データ」ではなく「経過」として見る癖をつくった。


いまも、少しだけ

そしてたぶん、
いまも完全には帰れていない。

手術を終えて家にいても、
頭のどこかに病棟がある。

古い外科医なのかな、とも思う。

けれど、あの頃の自分が
必死に守ろうとしていたものを、
僕はいまも手放していない。

それでいいのだと思っている。

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